コウノドリ サクラが産婦人科医になった理由、きっかけはなぜ?
コウノドリ主人公鴻鳥サクラが産婦人科医になった理由やきっかけについて調べてみました。
この秋ついに始まった、「コウノドリ2」コウノドリ1も惜しまれながら終了しただけあって、2を楽しみに待っていた人もたくさんいるはずですね。
しかし、前作かなりの話題だけあって、2から始めてみる人も多いのではないでしょうか。今回は「コウノドリ鴻鳥サクラが産婦人科になった理由やきっかけについて調べてみました。
コウノドリ原作者について
原作者・鈴ノ木ユウ氏 1973年9月4日 山梨県甲府市の中華料理屋の長男として生まれました。
7歳ごろの実家で鍛えられた右手を生かしてミュージシャンを目指し大学へ進学。その後事務所と契約しミュージシャンとして活動。
バンド活動やソロ活動などしていたのですが、友人のすすめで漫画を描き始め、第52回ちばてつや賞に応募し準入賞したそうです。
2008年妻がに妊娠、安定した収入のために、バイトを掛け持ちで始めたため一時的に出版社と疎遠に。
2009年(36歳)一児出生し「このままお父さんになったらすごく疲れるな」と思いバイトを1つに減らし再度漫画を描いていくこととなったそうです。
2012年8月に「モーニング」という雑誌にて短期的に連載された「コウノドリ」が好評であり2013年連載開始となりました。
好評により、ドラマ化が決定し、2年前に「コウノドリ」そしてこの秋「コウノドリ2」がテレビで連続ドラマに決定しております。
鴻鳥サクラのモデルとなった人はどんな人、本当にいるの?
「コウノドリ」のモデルになった人は実在します。大阪府泉佐野市にあるりんくう総合医療センターに勤務する「荻田和秀先生」です。
血液型はO型です。一度も病院で検査を受けたことのない妊婦も積極的に受け入れる「断らない産婦人科」としても多くの人に知られている病院です。
荻田和秀先生は、神奈川県医科大学出身の産婦人科医師です。
ドラマ「コウノドリ」主人公である鴻鳥サクラと同様に産婦人科医でありジャズピアニスト、ライブ活動も開催しているそうです。
心温まる出産ばかりではない、産婦人科では、医師の立場としてつらいこともたくさんあるそうです。荻田和秀先生の心をいやす曲は、スティービーワンダーの「イズント・シー・ラヴリィー~可愛いアイシャ~)娘の出生について喜びを歌った曲だそうです。
荻田和秀先生にとっては音楽と医療は切るにきれない関係なんでしょうね。まさか、現実にモデルとなった産婦人科医がいたとは驚きですね。
鴻鳥サクラが産婦人科となったのはなぜだろう?理由やきっかけは?
「コウノドリ」主人公鴻鳥サクラのモデルとなった、荻田和秀先生、高校時代は将来はっきりとした将来何になりたいという目標はなかったそうです。
どちらかというと、ミュージシャンになりたかったそうです。
しかし自分より、はるかに才能のある人たちがたくさんいることを知ってしまい、その人たちが『魂を切り売りしているように見えてしまい』ミュージシャンを諦めたそうです。
父親が産婦人科医であり人間が好きだったことから、自然と医学部を目指すようになったそうです。
一年間の浪人生活を経て、香川医科大学に入学。授業もあまり受けず、バイトしたり釣りに行ったりと無為に過ごされていたそうです。
しかし見学や実習の中で選択肢の一つに「救急」が浮上。叔父が研究者だったこともあり研究もやってみたかったそうです。
臨床実習が始まり、実際に産婦人科に行き、初めて母子ともに瀕死の状態を目の当たりにし、これが救急医療の一つだと思ったそうです。
出産の現場では、母子の「産婦人科は外科的要素も内科的要素もあり、生殖医療や周産期というのは産婦人科にしかない。
そこで、何でもできる産婦人科を選択したそうです。出産現場では母子の命を守るためにいつも全力で奮闘するとっても素晴らしい先生です。
「コウノドリ」鴻鳥サクラのセリフ。「僕らは毎日、奇跡のすぐそばにいるから」は荻田医師の思いでもあるそうです。
医師が漫画のモデルとなり、それが心の温かな医師であれば、そこに患者が集まりそうですよね。このドラマをみてみんな優しい医師でいてほしいですよね。
コウノドリが生まれた理由とはなんだろう?
原作者、鈴ノ木ユウ氏が、奥様と食事をしていたところ、出産の時にお世話になった先生がピアニストであったという話になったそうです。
ピアニストで産婦人科医、そしてゴールドフィンガー、面白いねということになり。産婦人科医「荻田和秀先生」をモデルにした話を書き始めたのが、コウノドリが生まれた理由です。
それと奥様の幼馴染に産婦人科医がいていろんな話を聞いていたことも影響しているそうです。「俺が描かなきゃ誰が描く?」と思って書き出したそうですよ。
また原作者、鈴ノ木ユウ氏が出産に立ち会った時の衝撃も作品につながっているそうですよ。
いろいろなきっかけや影響などが絡み合って、コウノドリが生まれたんですね。こんないろいろな影響が絡み合って生まれたコウノドリ、奇跡産婦人科医のドラマですね。
コウノドリ主演、綾野剛さんとは?
綾野剛さんは、役に入り込むことは有名な話です。どのドラマを見てもその役にあった、違った顔を見せてくれています。同じ人が演じているとは到底思えないことも多々ありますよね。
この「コウノドリ」でも、この作品に出合ったことで命の重さを痛感した。心を打たれたような気分。と言っているそうです。現場では、どこか思いつめた表情が多いそうです。
演じるサクラが生きているうえで一番大切にしている感情「怒り」助けられなかった命、もっとたくさんできることがあったはず。そういった悔しさを常に持ってます。
綾野剛さんは「怒り」を言動にしてサクラを演じているそうです。怒りがあることで人は優しくできます。それがなくなったら人にやさしく接することもできないと思っているそうです。
綾野剛さんは、1982年1月26日生まれ、岐阜県出身です。身長は180センチと高身長のイケメンでも有名です。
コウノドリ2の見どころは??
産婦人科医、助産師、看護師たちが医療現場で奮闘し続ける姿を、2年前より有名になった俳優人たちが熱演しているので、絶対に見逃したくないですよね。
今回は、出産後の生活していくことがテーマに、苦悩の中にいる出産を終えた母親そして夫、そして赤ちゃん実際に出産後に悩んでいる人たちに贈るテーマであることでしょう。
また子育て一件落着した人にとってもきっと心温まるドラマとなるはずですよ。
コウノドリのモデルの人の夢とは??
コウノドリのモデルとなった「荻田和秀先生」将来の夢は、10年後も10時間先のことを考えずに仕事を続けることです。
全力で、目の前で起きていることについて向き合っていくという思いなのでしょうね。素晴らしいですね。
修羅場を数多く乗り越えてきている産婦人科医「荻田和秀先生」であるからこそ、そんな夢が語れるのでしょうね。
素敵ですね。一分先のことまで考えながら一生懸命ぎりぎりな日常生活と仕事を送っている人に、ぜひ見習ってもらいたいものですね。
コウノドリの鴻鳥サクラが、のんびりと一生懸命に取り組んでいる姿はまさに荻田和秀先生ですね。こんな思いを知りながらドラマを見ると違う視点から見れるかもしれませんね。
今回は、コウノドリ、鴻鳥サクラが産婦人科医になったきっかけについて、原作者やモデルになった自分物に至るまで調べてみました。
コウノドリ サクラが産婦人科医になった理由、きっかけはなぜ?についてでした。